ビテン
恩寵なき畏き者の討伐者
ビテンは群王期に活躍した伝説的英雄であり、恩寵に頼らずに畏き者を討伐する革新的な技法を開発した。その功績は、人類に新たな可能性をもたらし、畏き者との関係性を根本から変革した。彼の生涯と業績は、エヴァリナ学の発展と人類の自立に多大な影響を与え、後の時代にまで語り継がれる偉業となった。
出自と少年期
群王期711年、アヴィスティアとカレニアの国境に位置する寒村エルナ・ミアにて、ビテンは生を受けた。父ノルヴァリュクトは鉱山技師、母ミアゼンタは薬草師であり、両親から受け継いだ多彩な才能は、後の偉業の礎となった。
幼少期より、ビテンは並外れた身体能力と知性を示した。3歳にして難解な古文書を読み解き、7歳で村の守護神殿の建築に参加したという逸話が残る。その才能に畏怖の念を抱いた村人たちは、ビテンを「エルナ・ミアの奇跡」と呼んだ。
しかし、運命は過酷な試練を用意していた。ビテン10歳の時、畏き者ゼクトラルの襲来により、村は壊滅的被害を受ける。両親と幼馴染を失ったビテンは、奇跡的に生き残るも、深い心の傷を負った。この経験が、彼の心に畏き者への強烈な憎悪と、人間の無力さへの疑問を植え付けた。同時に、畏き者に対抗する力を得るため、知識と技術を渇望する契機ともなった。
遍歴と修練の日々
悲劇の後、ビテンは苦難の放浪の旅に出る。各地を巡りながら、様々な武術や学問を貪欢上に吸収していった。
アヴィスティアの鉱山では、父の教えを思い出しながら鉱石の性質を学んだ。岩石の強度や金属の特性への理解は、後の畏き者討伐法の基礎となる。カレニアの山岳地帯では、厳しい自然の中で生き抜く術を身につけ、気象の変化や地形の利用法を会得した。ノルセリアの港町では、広大な世界の存在を知り、多様な文化や思想に触れることで、視野を大きく広げた。
ビテンの学びは、従来の枠組みに囚われないものだった。武術や戦略だけでなく、錬金術、気象学、生物学、哲学など、あらゆる分野の知識を統合的に吸収していった。その過程で、畏き者の本質に迫る独自の理論を構築していく。
特筆すべきは、群王期735年から3年間に及ぶ、「影の森」での苛烈な修行である。伝説の隠者ゼリュクト・ミアルヴァンの下で、ビテンは心身の限界を超える訓練を積んだ。この期間に、彼は後の「瞬身の技」の原型となる身体操作法を習得したとされる。
畏き者討伐法の開発
ビテンが30歳を迎えた群王期741年、彼は画期的な発見をする。畏き者の力の源であるエヴァリナの流れに、微細な「歪み」が存在することを見出したのだ。この歪みこそが、畏き者の弱点であり、同時に人間が対抗し得る可能性の証だとビテンは確信した。
この発見を基に、ビテンは苛烈な自己鍛錬を開始する。エヴァリナの歪みを感知し、それを利用する技法の開発に没頭した。昼夜を問わぬ修練の末、群王期745年、ついに「瞬身の技」と呼ばれる独自の身体技法を完成させる。
「瞬身の技」は、エヴァリナの歪みを巧みに利用し、畏き者の攻撃を予測・回避しつつ、致命的な一撃を与えるものだった。この技により、人間の身体能力を超越的なレベルまで引き上げることが可能となった。しかし、その習得には並外れた才能と努力が必要であり、ビテン以外に完全に使いこなせた者はいないとされる。
伝説の始まり:ゼクトラルとの決戦
群王期751年、ビテンは運命の対決に挑む。相手は、かつて故郷を滅ぼしたゼクトラルその者だった。かつて無力だった少年は、今や畏き者に比肩する力を持つ英雄となっていた。
決戦の地は、エルナ・ミアの廃墟。7日7晩に及ぶ壮絶な死闘が繰り広げられた。ビテンの「瞬身の技」は、ゼクトラルの猛攻を幾度となく回避し、着実に打撃を与えていく。最終日、ビテンは渾身の一撃でゼクトラルの核を砕き、ついに畏き者を討伐することに成功した。
この偉業は瞬く間に大陸中に広まり、ビテンの名は一躍伝説となった。人類初の、恩寵なき畏き者討伐者として、彼の名は歴史に刻まれることとなる。
英雄としての活躍
ゼクトラル討伐後、ビテンは次々と畏き者との戦いに挑んでいく。群王期755年には、海を支配する畏き者ノルヴァ・サルヴァリュを倒し、海上交易路の安全を確保。群王期760年には、火山を操る畏き者グリトリュ・ソルナを鎮め、カレニアの火山地帯の安定化に貢献した。
彼の活躍は人々に大きな希望を与え、畏き者に対する恐怖心を和らげた。同時に、人間の潜在能力への信頼を高め、新たな技術や思想の発展を促進した。ビテンの存在は、恩寵に頼らずとも人間が畏き者と対等に渡り合えることの証明となり、人類に大きな自信をもたらした。
後進の育成と知識の伝承
群王期770年頃から、ビテンは自身の知識と技術を後世に伝えることに力を注ぐようになる。アヴィスティアの山中に「無恩寵学院」を設立し、選ばれた弟子たちに畏き者討伐の技法を伝授した。
彼の教えは厳しくも温かいものだったという。単なる戦闘技術だけでなく、エヴァリナの本質や、人間の可能性についての哲学的考察も重視された。ビテンの弟子たちは後に各地で活躍し、人類の自立と発展に大きく貢献することとなる。
晩年と謎の失踪
群王期785年、ビテンは突如として姿を消す。最後に目撃されたのは、かつて修行した「影の森」の入り口だったという。彼の失踪について、様々な憶測が飛び交った。
ある者は、彼が究極の畏き者との戦いで命を落としたと言い、またある者は、彼自身が畏き者となって星となったと語る。真相は藪の中だが、彼の失踪後、大陸各地で新たな畏き者が次々と出現したことから、ビテンが畏き者と化したという説が有力視されている。
遺産と影響
ビテンの功績は、後世に多大な影響を与えた。彼の開発した「瞬身の技」は、後の軍事技術や防衛システムの基礎となった。エヴァリナの歪みの発見は、フェグスター技術の発展に大きく寄与し、群王期後半から七国期にかけての科学技術の飛躍的進歩を促した。
また、ビテンの思想は、人間中心主義的な新たな哲学潮流を生み出した。彼の著した『人智論』は、畏き者との共存ではなく、人類の自立と進化を説く画期的な書物として、現代にも大きな影響を与え続けている。