エストラヴィンの眼
エストラヴィンとの壮絶な戦いを描いた叙事詩
『エストラヴィンの眼』は、七国期の詩人ルミオス・ゼンタが著した英雄叙事詩である。英雄ヴェランドによる畏き者エストラヴィンとの71日に及ぶ壮絶な戦いを描き、人間と畏き者の関係性、英雄の使命、そして力と責任の本質について深く掘り下げている。
ルミオス・ゼンタは、シャロヴィア王国の宮廷詩人として名を馳せた人物である。彼は、ヴェランドの直系の子孫から直接話を聞き、また各地に残る伝承を丹念に収集することで、この叙事詩を完成させた。
全71編から構成されており、戦いの71日間に対応している。各編は、ヴェランドとエストラヴィンの戦いの様子を描くと同時に、両者の内面や、戦いが世界に与えた影響についても深く掘り下げている。
第一編「運命の朝」
叙事詩は、ヵェランドがエストラヵィンと対峙する朝の描写から始まる。ヴェランドの心中に去来する故郷への想い、復讐心、そして使命感が繊細に描かれている。一方、エストラヴィンの側からも、人間に挑まれることへの驚きと興味が表現されている。
第七編「死者たちの声」
ヴェランドが、死者との対話能力を使って戦場で命を落とした者たちの声を聴く場面が描かれる。彼らの悲しみや怒り、そしてヴェランドへの期待が、重層的に表現されている。この場面は、ヴェランドの戦いの動機を再確認させるものとなっている。
第二十一編「大地の裂け目」
エストラヴィンの力により大地が裂け、多くの村々が飲み込まれる様子が描かれる。ヴェランドは村人たちを救おうとするが、エストラヴィンとの戦いとの板挟みになる。ここでは、個人の復讐と英雄としての責任の葛藤が鮮やかに描き出されている。
第三十五編「月光の矢」
戦いが膠着状態に陥った時、ヴェランドが畏き者イルミナ・ルナリオスの力を借りて放つ「月光の矢」の場面が描かれる。この攻撃はエストラヵィンに大きな傷を負わせるが、同時にヴェランド自身も重傷を負う。ここでは、畏き者の力を借りることの代償が示唆されている。
第五十編「内なる畏き者」
長期化する戦いの中で、ヴェランドが自身の内に眠る畏き者的な力に気づく場面が描かれる。彼は、人間でありながら畏き者の性質を併せ持つ存在であることを悟り、その力を制御しようと試みる。この部分は、人間と畏き者の境界の曖昧さを示唆している。
第六十三編「エヴァリナの荒波」
戦いが最終段階に入り、ヴェランドとエストラヴィンの攻防がエヴァリナの大規模な流動を引き起こす様子が描かれる。この現象により、周辺地域に様々な異変が起こり、世界の秩序が大きく揺らぐ。ここでは、個人の戦いが世界全体に及ぼす影響が示されている。
第七十一編「永遠の別れ」
最終決戦の場面では、ヴェランドがエストラヴィンの核心を突き、畏き者を打ち倒す様子が描かれる。しかし、エストラヴィンの最期の言葉は、彼もまた世界の一部であり、その消滅が新たな混沌を生むことを示唆している。ヴェランドは勝利の喜びと、未知の未来への不安を同時に感じながら、新たな時代の幕開けを見届ける。
『エストラヴィンの眼』の公開は、七国に大きな反響を呼んだ。その壮大なスケールと深い思想性は、多くの人々の心を捉え、芸術や思想に大きな影響を与えた。
フェダスでは、ヴェランドの姿勢が畏き者との新たな関係性のモデルとして受け入れられ、より対等な立場での交流を模索する動きが生まれた。
イシェッドでは、「内なる畏き者」の概念に基づいた新たな修行法が開発され、個人の潜在能力を引き出すための様々な技法が生み出された。
アヴィスティアでは、エストラヴィンとの戦いの描写から、鉱山での危険な作業に対する新たなアプローチが生まれた。リスクを恐れるのではなく、それと向き合い、克服する姿勢が重視されるようになった。
ノルセリアでは、ヴェランドの航海の描写に触発された探検家たちが、未知の海域への探査を積極的に行うようになった。これにより、新たな交易路の開拓が進んだ。
タルヴェイでは、その壮大な世界観を表現しようとする芸術運動が起こり、巨大壁画や立体彫刻など、前例のない規模の作品が次々と生み出された。
カレニアでは、ヴェランドとエストラヴィンの戦いの舞台となった山々が聖地として崇められるようになり、新たな巡礼ルートが確立された。
ベロヴでは、エヴァリナの荒波の描写から、自然の力を畏れつつもそれを利用する新たな農法が開発された。これにより、従来は不可能とされていた土地での農業が可能になり、農業生産が飛躍的に向上した。
また、『エストラヴィンの眼』は各地で様々な形で演じられている。フェダスでは、71日間連続で上演される大規模な野外劇として、イシェッドでは、瞑想と朗読を組み合わせた独特の儀式として、タルヴェイでは、音楽と舞踊を融合させた壮大な舞台芸術として、それぞれ独自の発展を遂げている。