心淵

元神官の告白録

『心淵』は、七国期の思想家ミアル・ゼクトラルが著した自伝的作品である。畏き者との契約を破棄した元神官の視点から、人間と畏き者の関係性、信仰の本質、そして個人の良心の問題を深く掘り下げている。

本書は、ミアル・ゼクトラルの幼少期から神官としての日々、契約破棄の瞬間、そして放浪の日々を時系列に沿って描いている。しかし、その記述は必ずしも直線的ではなく、過去と現在、現実と幻想が交錯する複雑な構造を持つ。

冒頭、ミアル・ゼクトラルは自身の生い立ちを語る。フェダスの辺境の村で生まれた彼は、幼くして畏き者の声を聴く能力を示し、神官としての道を歩み始める。彼の才能は瞬く間に認められ、若くしてグレナキア神殿の高位神官にまで上り詰める。

しかし、栄華を極めた神官時代の記述の合間に、契約破棄後の苦悩の日々が挿入される。ミアル・ゼクトラルは、畏き者の声が聞こえなくなった喪失感と、同時に得た自由の感覚について赤裸々に語る。

疑念の芽生え

物語が進むにつれ、ミアル・ゼクトラルが契約破棄に至った経緯が明らかになる。彼は神官として多くの奇跡を起こし、民衆から神のごとく崇められていた。しかし、ある日、彼は自身の行為が真に人々のためになっているのかという疑念を抱き始める。

幻視の真実

ミアル・ゼクトラルは、畏き者グレナキアとの交信の真相について語る。それは純粋な神託ではなく、彼自身の潜在意識とグレナキアの意思が複雑に絡み合ったものだったという。この発見は、彼の信仰の根幹を揺るがすことになる。

契約破棄の瞬間

本書のクライマックスは、ミアル・ゼクトラルが畏き者グレナキアとの契約を破棄する場面である。彼は、グレナキア神殿の最奥で、畏き者の真の姿を目の当たりにする。そこで彼が見たものは、絶対的な存在ではなく、人間の信仰によって形作られた「概念の集合体」だった。

放浪の日々

契約破棄後、ミアル・ゼクトラルは七国を放浪する。彼は様々な人々と出会い、多様な思想に触れる。特に、イシェッドの自然崇拝やタルヴェイの芸術至上主義は、彼に大きな影響を与えた。

新たな気づき

放浪の末、ミアル・ゼクトラルは重要な気づきを得る。畏き者は絶対的な存在でも、単なる幻想でもない。それは人間と自然の間に存在する、言葉では表現しきれない何かであると。

結びとして、ミアル・ゼクトラルは読者に問いかける。畏き者との関係性を、どのように築いていくべきなのか。盲目的な信仰でも、完全な否定でもない、新たな道筋を模索する必要性を説いて、本書は幕を閉じる。

『心淵』は、その斬新な視点と率直な告白によって、七国に大きな衝撃を与えた。フェダスでは発禁処分となったが、他の国々では広く読まれ、畏き者との関係性を再考する契機となった。

特に、畏き者を絶対視せず、かといって完全否定もしないミアル・ゼクトラルの姿勢は、多くの知識人たちの共感を呼んだ。イシェッドの哲学者たちは、彼の思想を自然との共生の理念に結びつけ、新たな哲学体系を構築した。

また、タルヴェイでは『心淵』に触発された芸術運動が起こり、畏き者と人間の関係性を抽象的に表現した作品が多く生み出された。

一方で、『心淵』はフェダスの宗教体制に大きな打撃を与えた。グレナキア信仰の動揺は政治的混乱にまで発展し、フェダス王国の国力低下を招いたとも言われている。

ミアル・ゼクトラルの『心淵』は、畏き者とエヴァリナが織りなす世界に生きる人間の葛藤と、真理の探求の軌跡を鮮やかに描き出した作品である。その問いかけは、現代の読者の心にも深く響き続けている。