ヴァルタ宮
畏き者の支配する森を彷徨う魂の叙事詩

『ヴァルタ宮』は、群王期の詩人ゼクトラル・オヴァネスが著した叙事詩である。畏き者ドルヴァンティス・ルザクの支配するヴァルタ・ノルヴァ森林地帯を彷徨う魂の遍歴を描き、生と死、罪と贖罪、そして人間と畏き者の関係性を深く探求している。
イシェッドの辺境に生まれたゼクトラル・オヵァネスは、幼少期にヴァルタ・ノルヴァ森林地帯で遭難した経験を持つ詩人である。その体験が、『ヴァルタ宮』の着想の元となったと言われている。全33篇、約14,000行からなるこの大作は、七国の文学界に大きな影響を与え、今日でも高い評価を受けている。
物語は、「我」と呼ばれる語り手が、人生の半ばにしてヴァルタ・ノルヴァ森林地帯に迷い込むところから始まる。そこで「我」は、畏き者ドルヴァンティス・ルザクの化身である巨大な樹木と出会う。ドルヴァンティス・ルザクは「我」に、森の奥深くにあるヴァルタ宮を目指すよう告げる。そこにたどり着けば、人生の真理を悟ることができるという。
「我」は案内人として、かつてこの森で命を落とした詩人ミア・ルミオスの亡霊を与えられる。ミア・ルミオスに導かれ、「我」はヴァルタ宮を目指して旅を始める。その道中、「我」は様々な魂と出会い、彼らの物語を聞く。
最初の篇「罪人たちの林」では、畏き者との契約を違えた者たちが、巨大な蔦に絡め取られている。彼らは永遠に蔦に絡まれ、苦しみ続ける運命にある。「我」は彼らの告白を聞き、人間の欲望と畏き者の力の危険な関係性を知る。
次の篇「嘆きの沼」では、生前に無力さを嘆き、何も成し遂げられなかった魂たちが、泥沼にはまり込んでいる。彼らは互いを引きずり込もうとし、「我」もその泥沼に飲み込まれそうになる。ここで「我」は、行動の重要性と、他者を貶めることの愚かさを学ぶ。
「怒りの渓谷」の篇では、激しい怒りに身を任せ、報復に生きた者たちが、互いに戦い続けている。彼らは永遠に傷つき、癒え、また戦うという循環から抜け出せない。「我」は、怒りと復讐が魂をどれほど蝕むかを目の当たりにする。
物語の中盤、「叡智の森」に到達した「我」は、古の賢人たちと対話する機会を得る。彼らは生前、畏き者の本質を理解しようと努めた者たちである。ここで「我」は、人間と畏き者の関係性について深い洞察を得る。
最後の試練「虚無の荒野」で、「我」は自身の内なる闇と向き合う。そこには「我」の恐れ、欲望、後悔が具現化されており、「我」はこれらと対峙しなければならない。この試練を乗り越えてはじめて、「我」はヴァルタ宮にたどり着く資格を得る。
物語のクライマックスで、「我」はついにヴァルタ宮に到達する。そこで「我」は、畏き者ドルヵァンティス・ルザクの真の姿を目にする。それは森そのものであり、同時に「我」の内なる世界でもあった。「我」は、人間と畏き者が本質的に一体であることを悟り、啓示を得て現実世界に帰還する。
『ヴァルタ宮』は、その壮大なスケールと深遠な思想で、多くの読者を魅了してきた。特に、人間と畏き者の関係性を新たな視点で描いた点が高く評価されている。従来の畏き者観、すなわち畏き者を全知全能の存在として崇める見方や、逆に恐るべき脅威として忌避する見方を超越し、畏き者を人間の内なる力の象徴として捉える解釈を提示したのである。
また、この作品は各地でさまざまな形で上演されている。イシェッドでは、巨大な樹木や蔦を用いた野外劇として演じられることが多く、アヴィスティアでは鉱山の地下洞窟を利用した神秘的な舞台が人気を博している。タルヴェイでは、詩の一節一節を絵画や彫刻で表現する芸術祭が毎年開催され、多くの観光客を集めている。