ルミオス1世

ヴァント信仰の創始者たる初代教皇

ルミオス1世は一統期初頭に活躍した宗教指導者であり、ヴァント信仰の創始者である。英雄ヴェランドの長子として生を受け、父の遺志を継ぎつつ新たな信仰体系を確立した。その教えは、畏き者との共存と人間の尊厳を説くものであり、シャロヴィア王国の精神的支柱となった。

英雄の影に生まれし子

崇願期365年、シャロヴィア王国の首都ヴェリャ・ミアにて、ルミオスは英雄ヴェランドの第一子として誕生した。その産声は、畏き者たちの闘争に疲弊した民衆に希望をもたらす鐘の音のごとく響き渡ったという。

幼少期のルミオスは、父ヴェランドの偉業の影に隠れるように成長した。英雄の息子という重圧は、彼の心に深い孤独と内省をもたらした。しかし、この経験こそが後の宗教指導者としての資質を育んだのだと、歴史家たちは指摘している。

星降る夜の啓示

崇願期383年、18歳のルミオスは人生を決定づける神秘的な体験をする。王宮の屋上で瞑想していた彼の前に、突如として無数の星が降り注ぐ幻影が現れたのだ。この現象は後に「星の交響曲」と呼ばれ、ヴァント信仰の重要な起源譚となる。

ルミオスはこの体験を通じて、畏き者と人間、そしてエヴァリナの本質的な一体性を直感的に理解したという。彼は父ヴェランドに啓示の内容を語り、新たな信仰体系の構築に取り組む許可を得た。

七つの石柱に刻まれし教え

崇願期385年から390年にかけて、ルミオスは精力的に思索と布教活動を行った。彼の教えの核心は、「畏き者と人間は、エヴァリナという大いなる存在の異なる現れに過ぎない」というものだった。この思想は、畏き者への恐怖と崇拝が入り混じっていた当時の民衆に、新たな世界観を提示した。

崇願期391年、ルミオスは自らの教えを「七つの石柱」に刻んだ。これらの石柱は、ヴェリャ・ミアの中心広場に建立され、後のヴァント大聖堂の礎となった。七つの教えは以下の通りである:

  1. 畏敬:畏き者を恐れず、敬う心
  2. 調和:エヴァリナとの一体性の追求
  3. 慈悲:全ての存在への慈しみ
  4. 知恵:真理の探究と自己啓発
  5. 勇気:困難に立ち向かう力
  6. 節制:欲望と恩寵の適切な制御
  7. 正義:万物の調和を守る義務

これらの教えは、後のヴァント信仰の根幹となり、シャロヴィア王国の道徳規範として広く受け入れられていった。

光輝く冠を戴きし日

崇願期401年、ヴェランドの決断により、ルミオスは初代ヴァント教皇に任命された。戴冠式は、ヴェリャ・ミアの大広場で執り行われ、全土から大勢の民衆が集まったという。

ルミオスが教皇の冠を戴いた瞬間、天空に奇妙な光の環が現れたと伝えられている。この現象は「ヴァントの光輪」と呼ばれ、ルミオスの即位が天命であることの証左とされた。

初代教皇となったルミオスは、ヴァント信仰の制度化と布教に尽力した。彼は全土に教会を建立し、畏き者との共存と人間の尊厳を説く僧侶たちを育成した。また、恩寵の適切な使用に関する指針を示し、その乱用を戒めた。

星となりし教皇

ルミオス1世は、50年に渡って教皇の座にあり、ヴァント信仰の基盤を確立した。彼の治世下で、ヴァント信仰はシャロヴィア王国の国教となり、社会の安定と文化の発展に大きく寄与した。

崇願期451年、86歳のルミオスは静かにその生涯を閉じた。伝説によれば、彼の魂は星となって昇天し、今もなお夜空を見守っているという。この「ルミオスの星」は、現在でも信者たちの導きの光として崇められている。

遺産と影響

ルミオス1世の創始したヴァント信仰は、シャロヴィア王国の精神的支柱として機能し、その後の一統期全体を通じて社会の安定に寄与した。彼の教えは、畏き者との共存という難題に対する一つの解答を示し、人々に希望と指針を与え続けた。

現代においても、ヴァント信仰は形を変えつつ存続しており、特に倫理的な面での影響力は大きい。七国期の思想家や哲学者たちは、ルミオス1世の著作や説教を参照し、現代社会における人間と畏き者の関係性について考察を重ねている。

ルミオス1世の生涯は、英雄の息子という宿命を背負いながらも、独自の道を切り開いた者の物語として、今なお多くの人々に感銘を与え続けている。彼が築いた信仰の体系は、畏き者とエヴァリナが存在する世界における、人間の在り方を示す重要な指針となっているのである。