西方世界人類史

先古代から七国期まで

大陸における人類の歴史は、エヴァリナと畏き者たちの存在によって深く彩られ、その発展と衰退、そして再興の波を繰り返してきた。先古代から現在の七国期に至るまで、人類は常に超常なる力との関わりの中で、独自の文明を築き上げてきた。その歩みは、畏怖と畏敬、挑戦と共生の物語であり、今なお続く壮大な叙事詩である。

先古代 (年代不詳 – 1年)

初期 (年代不詳 - 約5000年前)

大陸各地に分散した小規模氏族による狩猟採集生活が営まれていた時代。人々は自然の脅威に怯えながらも、その恵みに感謝する心を育んでいった。洞窟壁画や石器の製作など、初期芸術と道具製作の萌芽が見られ、人類の創造性が芽生え始めた。自然現象を神格化した原始宗教が発生し、後の畏き者信仰の素地となる精神性が形成されていった。

中期 (約5000年前 - 約3000年前)

河川流域での農耕と牧畜の開始により、定住生活が広がり始めた。土器の発明と普及により、食料保存技術が向上し、人口の増加と集落の拡大をもたらした。小規模な集落が形成され、共同作業や儀式を通じて社会的結束が強まっていった。この時期、初期の社会階層が出現し、指導者や祭司の役割が確立されていった。

後期 (約3000年前 - 約1000年前)

銅器の使用開始により、農具や装飾品の製作技術が飛躍的に発展した。灌漑技術の発達による大規模農業の開始は、食料生産を安定させ、人口の急増をもたらした。これにより、初期の都市国家が形成され、権力者を中心とした社会構造が確立されていった。また、東方との限定的な交易が始まり、香辛料や織物などの流入により、文化的な刺激を受けた。

末期 (約1000年前 - 1年)

鉄器の発明と普及により、農業生産性が飛躍的に向上し、同時に武器の進化ももたらされた。文字体系の発明は、行政記録や宗教儀式の文書化を可能にし、知識の蓄積と伝達を促進した。哲学や初期科学の萌芽が見られ、世界観や宇宙観が形成されていった。複雑な社会構造と階級制度が発展し、貴族階級が台頭。小規模な戦争の増加により、都市国家間の同盟と対立が複雑化していった。

崇願期 (1年 – 446年)

初期混乱期 (1年 - 50年)

1年、大陸中央で原因不明の超巨大爆発が発生し、エヴァリナが世界に溢れ出した。これを契機に、畏き者たちが突如として出現し始め、世界は未曾有の混乱に陥った。最初の畏き者ルミオス・ヴァルタの出現により、周辺地域は壊滅的被害を受けた。続いて出現した畏き者ゼンタ・ミアは、光の異常現象を引き起こし、日照パターンを大きく変化させた。

これらの現象に対し、人々は恐怖と畏怖の念を抱き、中には畏き者を崇拝する集団も現れ始めた。「光の子たち」と呼ばれる最初の畏き者崇拝集団の形成は、新たな儀式の発達をもたらした。畏き者エルナ・ルザクの出現は、山岳地帯に大規模な地形変化をもたらし、既存の社会秩序を根底から覆した。

各地域では、畏き者の出現に対する異なる反応と対応策が模索された。一方で、陸海での超強大な畏き者の出現により、東方世界との交流は完全に断絶し、ルミア・ヴァルタ大陸は孤立した世界となった。

エヴァリナ学萌芽期 (51年 - 150年)

混乱が続く中、初期のエヴァリナ学者サルヴァリュ・オヴァネスが登場し、畏き者とエヴァリナの研究を開始した。サルヴァリュ・オヴァネスは畏き者の初歩的分類を試み、エヵァリナ学の基礎概念である「ティリュオン」を提唱した。この理論は、後のエヴァリナ研究の礎となった。

この時期、畏き者グリトリュ・ソルナの出現により、広域的な干ばつが引き起こされた。これに対応するため、雨乞い儀式が発達し、畏き者への祈願が組織化されていった。畏き者ルナリ・ミルヴァンの出現は、月の異常と潮の乱れを引き起こし、沿岸地域の生活に大きな変化をもたらした。

最初の大規模王国であるヴェリャ・ノルヴァが建国され、畏き者との共存政策が試みられた。しかし、初の大規模な畏き者封印儀式の失敗により、王国は崩壊し、周辺地域は長期的な荒廃に見舞われた。この出来事は、畏き者の力の制御の困難さを人々に痛感させた。

エヴァリナ学の発展に伴い、新たな世界観が形成され、人々の間に広まっていった。畏き者の存在を中心とした宇宙観が構築され、人類の在り方が根本から問い直されることとなった。

恩寵発見期 (151年 - 300年)

畏き者セルティス・ドルヴァンの出現により、農作物の異常成長現象が発生した。この現象は「恩寵」と呼ばれるようになり、畏き者がもたらす恩恵として認識されるようになった。農業の豊穣をもたらす恩寵の発見は、新たな農業社会の形成を促進した。

エヴァリナ学者ゼリュクト・ルミオスは「恩寵理論」の基礎を構築し、畏き者との関係性に新たな視点をもたらした。畏き者オヴァネス・ノルヴァの出現は海洋の大規模な変動を引き起こし、沿岸都市国家群の形成と海洋貿易の発展をもたらした。

畏き者ミア・エルナの出現は山岳地帯での鉱脈形成を加速させ、鉱山都市アヴィス・ルミオスの建設につながった。これにより、鉱物資源を基盤とした新たな経済圏が確立された。

しかし、畏き者ルザク・ゼンタによる疫病の蔓延は、人口の大幅な減少と社会構造の変化をもたらした。この危機に対し、新たな儀式が開発され、医療関連の恩寵が発見された。これらの医療恩寵を中心とした新たな社会制度が確立され、人口の回復と公衆衛生の改善がもたらされた。

社会再編期 (301年 - 446年)

畏き者ヴァルタ・ソルナの出現により、広域的な気候変動が引き起こされた。これに対応するため、新たな農業技術が開発され、作物の品種改良が進められた。また、食文化にも大きな変容がもたらされた。

畏き者ミルヴァン・グリトリュの出現は、金属加工技術の飛躍的発展をもたらした。これにより、高度な武器・防具の製造が可能となり、各国の軍事力が増強された。

この時期、複数の畏き者間の対立が激化し、人間社会に甚大な被害をもたらした。この危機に対応するため、人間社会内で「七契約」が締結され、畏き者との共存のための新たな秩序が模索された。「七契約」に基づく社会制度の再編が行われ、畏き者との関係が再定義された。

崇願期の終わりに近づくと、畏き者エストラヴィンが出現し、広域支配を開始した。これにより、新たな権力構造が形成され、畏き者との関係を軸とした政治体制が確立されていった。

一統期 (317年 – 584年)

シャロヴィア建国期 (317年 - 350年)

317年、後に「世界最大の英雄王」と呼ばれることになるヴェランド・ミアルヴァンが誕生した。332年、エストラヴィンによってヴェランドの故郷が崩壊し、彼の運命が大きく変わる。341年、ヴェランドは畏き者ベセーと契約を結び、三つの強大な恩寵を獲得する。

346年、ヴェランドとエストラヴィンの71日間に及ぶ死闘が始まった。347年、ヴェランドはエストラヴィンを討伐し、シャロヴィア王国の建国を宣言した。348年から350年にかけて、シャロヴィア王国は急速に領土を拡大し、周辺国家を併合または同盟化していった。

この過程で、シャロヴィア式行政制度が確立され、周辺地域にも導入された。また、畏き者との新たな関係性が構築され、恩寵の体系的な利用が開始された。これらの変革により、人類と畏き者の関係は新たな段階に入った。

統一と制度確立期 (351年 - 450年)

351年から450年にかけて、シャロヴィア王国は大陸西半分の統一を完了させた。この過程で、統一シャロヴィア暦が制定され、度量衡や時間概念の標準化が進められた。シャロヴィア王国は畏き者との交渉術を体系化し、シャロヴィア式恩寵管理システムを開発・実装した。

大規模な恩寵利用により、生産力が飛躍的に向上した。また、シャロヴィア独自の建築様式が誕生し、七弦琴の発明を始めとする音楽文化が発展した。シャロヴィア共通語の制定と普及により、言語の統一化が進み、商業活動の標準化も実現した。

401年から450年にかけて、ヴァント信仰の基礎理念が形成され、発展していった。ヴェランドの長子ルミオス1世が初代ヴァント教皇に即位し、宗教組織が確立された。ヴァント教の組織化と全土への浸透により、精神文化の統一が進んだ。

シャロヴィア学院の設立により、エヴァリナの学術的研究が飛躍的に発展した。畏き者ヌミスマティカとの契約によりアウレウス貨幣システムが確立され、経済の安定化がもたらされた。シャロヴィア帝国図書館の建設は、知識の集約と保存を可能にした。

文化発展期 (451年 - 520年)

シャロヴィア式の畏き者分類法の基礎が完成し、学術研究の基盤が確立された。大規模な畏き者調査遠征隊が派遣され、未知の領域の探索が進められた。この過程で、未知の畏き者グラゴロスが発見され、新たな恩寵の獲得と研究が行われた。

シャロヴィア芸術の黄金期を迎え、「生命の樹」様式が誕生し、広く普及した。シャロヴィア哲学も大きく発展し、「調和論」が提唱されて思想界に大きな影響を与えた。調和論に基づく新たな社会制度が導入され、社会構造の再編が行われた。

統一教育システムが確立され、識字率の向上と知識の普及が進んだ。大規模な公共事業として「天空の道」の建設が開始され、完成後は帝国内の交通・物流に革命をもたらした。これにより、経済活動が大きく活性化した。

シャロヴィア科学も大きく発展し、「エヴァリナ力学」の基礎理論が構築された。エヴァリナ力学を応用した新技術の開発が相次ぎ、産業革命の萌芽が見られるようになった。また、畏き者との共存を目指す「調和都市」建設プロジェクトが開始された。初の調和都市ヴェリャ・ミアの完成は、新たな都市設計概念を世界に広めることとなった。

衰退期 (521年 - 584年)

シャロヴィア帝国の絶頂期を過ぎると、徐々に衰退の兆しが現れ始めた。地方勢力の台頭により、中央集権体制に綻びが生じ始めた。辺境地域での反乱が発生し、その鎮圧に苦心するなど、統治の困難さが増大していった。

521年、シャロヴィア皇帝ゼンタ3世が暗殺され、後継者争いが勃発した。これにより帝国は分裂の危機に直面し、一時的な混乱状態に陥った。地方の独立傾向が強まり、帝国の求心力は急速に失われていった。

新皇帝ルミオス4世の即位により、帝国再統一の試みが行われたが、畏き者との関係にも変化が生じ、新たな脅威が出現し始めた。アウレウス貨幣システムの不安定化により経済的混乱が生じ、辺境における新興勢力の台頭により、帝国の実効支配領域は徐々に縮小していった。

さらに、ヴァント教会の権力拡大により、世俗権力との対立が深刻化した。こうした様々な要因が重なり、584年、シャロヴィア帝国は事実上の崩壊を迎え、群王期への移行が始まった。

群王期 (589年 – 881年)

分裂初期 (589年 - 650年)

589年、シャロヴィア帝国の正式解体宣言がなされ、複数の継承国家が出現した。590年から600年にかけて、旧シャロヴィア領内での権力闘争が激化し、小規模国家が乱立する状況となった。

611年から620年にかけて、畏き者ゼクトラルが出現し、広範囲にわたる気象変動を引き起こした。これにより農業危機が発生し、621年から630年にかけて大飢饉が発生。人口が大幅に減少し、社会秩序が大きく崩壊した。

この混乱の中、631年から640年にかけて新興宗教「エヴァリナ浄化派」が台頭し、過激な畏き者排斥運動を展開した。これに対し、641年から650年にかけて、各地域で独自の畏き者との契約締結が進み、新たな権力構造が形成されていった。

英雄叢生期 (651年 - 750年)

混乱の時代の中から、多くの英雄たちが台頭した。651年から670年にかけて、畏き者討伐者ミア・ルザクが活躍し、複数の危険な畏き者を封印することに成功した。これにより、人類は畏き者に対抗する術を見出し始めた。

671年から690年には、航海探検家ノルヴァ・ルミオスが大航海を行い、新大陸の発見に至った。これは、世界観を大きく変える出来事となった。691年から710年には、錬金術師グリトリュ・ヴァルタが登場し、新たな恩寵利用法を開発。これにより、畏き者の力をより効果的に活用する道が開かれた。

711年から730年には、戦略家エルナ・ゼンタが台頭し、軍事技術の革新と戦術の発展をもたらした。731年から750年には、預言者サルヴァリュ・オヴァネスが出現し、新たな宗教運動を展開。これらの英雄たちの活躍により、分裂した世界に新たな秩序がもたらされていった。

技術革新期 (751年 - 800年)

751年から760年にかけて、英雄ビテンが出現し、恩寵に頼らない畏き者討伐法を開発した。これは、人類が畏き者に対抗する新たな手段を獲得したことを意味した。761年から770年にかけて、ビテンの技術を基にした新たな武器・防具の開発と普及が進んだ。

771年から780年には、畏き者ギルダネとの契約により、鉱山探査技術が飛躍的に発展した。781年から790年には、エヴァリナ結晶が発見され、新たなエネルギー源としての利用が開始された。

791年から800年にかけて、フェグスター技術の理論化が進み、人間によるエヴァリナ操作の初期実験が行われた。これは、人類と畏き者の力関係に大きな変化をもたらす可能性を秘めた革新的な技術であった。

新秩序形成期 (801年 - 881年)

801年から820年にかけて、フェグスター技術の発展が加速し、専門的な養成機関が設立された。821年から840年には、フェグスターを用いた新たな農業技術が開発され、食糧生産の安定化がもたらされた。

841年から860年にかけて、7つの主要勢力が台頭し、それぞれの勢力圏を確立していった。この過程で、勢力間の対立も激化していった。861年から880年には、南方でイシェッド氏族連合が形成され、統一への動きが見られるようになった。

そして881年、イシェッド王国の成立をもって、群王期は幕を閉じ、七国期への移行が始まった。この時期、世界は新たな秩序の形成に向けて大きく動き出したのである。

七国期 (882年 – 現在1127年)

七国体制確立期 (882年 - 950年)

882年から890年にかけて、7つの国家体制が正式に確立され、国境線が画定された。アヴィスティアでは鉱山貴族による支配体制が確立し、鉱業技術の革新が進んだ。ベロヴではエルヴァントを中心とした連邦制が整備され、河川交通網が発達した。

ノルセリアでは商業都市連合が形成され、海洋貿易ネットワークが拡大した。フェダスでは畏き者グレナキアとの契約が更新され、神聖王権が強化された。カレニアでは山岳地帯での集団指導体制が確立し、独自の防衛システムが整備された。

タルヴェイでは芸術都市国家群の連合が形成され、文化交流が活性化した。イシェッドでは氏族制度が再編され、雨林資源の効率的利用システムが構築された。

891年から900年にかけて、七国間での初の包括的な平和条約が締結された。901年から910年には、各国で独自の畏き者との関係構築が進み、恩寵の特化が進んだ。911年から920年には、七国共通の度量衡システムが採用され、経済活動の標準化が進んだ。

921年から930年には、フェグスター技術の進展により、各国で独自の応用研究が行われるようになった。931年から940年には、大陸横断交易路が整備され、内陸部での経済活動が活性化した。941年から950年には、新たな畏き者ドルヴァン・ミアが出現し、七国協調での対応が行われた。

文化発展期 (951年 - 1050年)

951年から970年にかけて、七国それぞれの文化的特色が確立し、芸術様式の多様化が進んだ。971年から990年には、エヴァリナ学の学術的再興が起こり、七国共同研究プロジェクトが開始された。

991年から1010年にかけて、新たな恩寵利用法が発見され、産業技術に革新がもたらされた。1011年から1030年には、大陸規模の気候変動が発生し、農業技術の適応と進化が促された。1031年から1050年には、七国間での文化交流が活性化し、混合文化が誕生した。

思想変革期 (1051年 - 1126年)

1051年から1070年にかけて、ヴェリャ・ドルヴァンティス論争が勃発し、畏き者の本質を巡る議論が活発化した。1071年から1090年には、新たな哲学思想が台頭し、人間と畏き者の関係性が再考された。

1091年から1110年にかけて、フェグスター技術が飛躍的に発展し、畏き者との力関係に変化が生じ始めた。1111年から1126年には、環境問題が顕在化し、持続可能な恩寵利用に関する議論が活発化した。