ヴェランド・ミアルヴァン
世界最大の英雄王
ヴェランド・ミアルヴァンは、崇願期に出現した伝説的英雄であり、シャロヴィア王国の礎を築いた建国の祖である。畏き者エストラヴィンとの71日に及ぶ壮絶な死闘の末にこれを討伐し、その後大陸西半を統一した。彼の生涯は、人と畏き者の関係性を根本から変革し、世界に統一すらもたらした。
故郷の灰燼
崇願期317年、北域の寒村テーマダに誕生したヴェランドは、痩せこけた貧しい農民の少年であった。彼の家族は日々の糧を求めて懸命に励む貧窮の暮らしを送っており、村人たちは彼に特別な運命を感じ取ることはなかった。
しかし、崇願期332年、突如として大陸北部に出現した強大なる畏き者エストラヴィンが、ヴェランドの運命を大きく転換させることとなる。エストラヴィンは北部地域を蹂躙し、次々と村落を灰燼に帰せしめた。その獰猛なる姿と破壊の威力は、多くの国家や都市を戦慄と恐怖の淵に陥れた。
崇願期334年、17歳のヴェランドの故郷テーマダ一帯がエストラヴィンの襲来に見舞われる。彼の家族や親密なる友人たちは命脈を絶たれ、ヴェランド自身も深甚なる傷を負った。村落の焦土の中で意識を取り戻したヴェランドの心底には、深淵なる絶望と怒憤、そして復讐の誓願が芽生えた。
翌335年、ヴェランドは復讐の旅路に踏み出す。彼は「テーマダの痩身なる若枝」から「灰燼より蘇りし復讐者」へと変貌を遂げ、エストラヴィンを追って世界を周遊し始めた。
影の森とベセーとの契約
崇願期341年、ヴェランドは影の森の深奥にて畏き者ベセーと邂逅する。ベセーは稀有にも人と言葉を交わす畏き者であり、その性質は貪欲にして狡知に長けていた。常に嘲弄の笑みを浮かべていたが、ヴェランドとの邂逅の刹那、その表情には驚愕と興趣が浮かんだという。
ベセーはヴェランドに三つの恩寵を授けることを提案するが、それには三つの代償を要求した。「あらゆる安寧なる眠り」「過去の歓喜の記憶の全て」、そして「死後に奪い去る何か」。ヴェランドは復讐の成就のため、そして己の運命を一変させる力を獲得するため、ベセーの要求を飲む決意を固めた。
かくしてヴェランドは、「時をずらす力」「死者と対話する力」「身体を再生する力」という三つの強大なる恩寵を授かった。しかし、彼は二度と安らかなる眠りにつくことは叶わず、幸福なる記憶を喪失し、そして死後の運命を未知なる脅威に晒すこととなった。
英雄への昇華
崇願期341年から346年にかけて、ヴェランドは各地を巡歴し、比較的弱小なる畏き者を次々と討伐していった。彼の名声は徐々に拡散し、「灰燼より蘇りし復讐者」から「畏き者を征する英雄」へと変容していった。
崇願期343年、ヴェランドは初めてセファ級の畏き者ゼクトラルと対峙する。しかし、その力の懸隔は歴然としており、ヴェランドは撤退を余儀なくされた。この敗北は彼に甚大なる衝撃を与え、自身の力の限界を痛感させた。
しかし、ヴェランドは諦念の淵に沈むことはなかった。2年の歳月を費やして厳格なる鍛錬と周到なる準備を重ね、崇願期345年、ついにゼクトラルとの再戦に挑む。壮絶なる死闘の末、ヴェランドはゼクトラルを討伐することに成功した。この勝利により、ヴェランドの名声は大陸全土に轟き渡り、彼は真の英雄として畏敬の念を持って迎えられるようになった。
71日間の死闘
そして崇願期346年、29歳となったヴェランドは、ついに宿敵エストラヴィンと対峙する。戦闘は71日間に渡って続き、舞台となった丘陵からは全ての草花が跡形もなく消え去った。
ヴェランドは死者との対話能力を駆使して、戦場で命脈を絶たれた者たちの声を聴取しながら戦った。彼らの悲哀や憤怒、そしてエストラヴィンへの復讐の炎焔を胸に秘め、ヴェランドは次々とエストラヴィンの軍勢を撃滅していった。彼の肉体はエストラヴィンの強大なる力の前に幾度となく粉砕されたが、恩寵によって身体を再生し、何度も起き上がり、前進し続けた。
死闘の最終局面、ヴェランドは時をずらす力を行使した。エストラヴィンの巨体の時をわずかにずらして引き裂きながら、凝集した存在の核心を暴き出した。そしてその核心を一瞬のうちに削り取り、ついにエストラヴィンをこの世から永遠に消滅させた。
この壮絶なる勝利により、ヴェランドの名は永遠の英雄として刻銘されることとなった。エストラヴィンほどの強大なる畏き者でさえ、恩寵によって人間が打ち倒し得るのだと示したこの戦闘は、全ての人類に深甚なる印象を与えた。
シャロヴィア王国の建国
崇願期347年、30歳となったヴェランドは、エストラヴィンを討伐した地を中心に、シャロヴィア王国を建国した。彼は荒廃した戦場を新たなる希望の地として再生させ、多くの民衆から絶大なる支持を獲得した。
ヴェランドの統治は公正にして寛容なるものであり、シャロヴィア王国は瞬く間に繁栄を迎えた。彼は死者との対話能力を活用し、無数の亡き者たちの声を聴取し、彼らの願望や未練を解消することで国内の安寧を保った。また、亡き者たちの叡智や経験を活かし、シャロヴィアの発展に寄与させた。
大陸統一への道程
崇願期348年から350年にかけて、ヴェランドは三度の大規模なる領土拡大戦争を遂行した。第一次戦役では北部諸国を、第二次戦役では中部地域の都市国家群を、そして第三次戦役では南部の大規模王国を併合し、わずか3年で大陸西半の統一を完遂させた。
この急速なる拡大の背景には、ヴェランドの圧倒的なる力と、彼の統治に対する各地の期待が存在した。多くの国々は、畏き者の脅威から守護してくれる強大なる指導者としてヴェランドを歓迎した。
繁栄の時代
統一後のシャロヴィア王国は、ヴェランドの指導の下で急速なる発展を遂げた。崇願期351年から400年にかけて、シャロヴィアは様々な分野で革新を惹起した。
- 崇願期353年:統一シャロヴィア暦の制定
- 崇願期355年:度量衡の標準化着手
- 崇願期357年:シャロヴィア式恩寵管理体系の構築開始
- 崇願期360年:シャロヴィア式の都市様式の確立、首都の大規模改造着手
- 崇願期365年:シャロヴィア音楽の黄金期到来、七弦琴の創出
- 崇願期370年:シャロヴィア共通語の制定、言語統一政策の開始
- 崇願期380年:シャロヴィア学院の創設、エヴァリナ学の本格的探究開始
- 崇願期385年:畏き者ヌミスマティカとの契約、アウレウス貨幣体系の構想
- 崇願期390年:アウレウス貨幣体系の正式運用開始
この間、ヴェランドは7人の子をもうけた。長子ルミオスから末子サルヴァリュまで、それぞれが後のシャロヴィア王国の重要なる役割を担うこととなる。
一統期への移行
崇願期400年頃から、ヴェランドはヴァント信仰の基礎理念形成に着手した。崇願期401年には長子ルミオスが初代ヴァント教主に就任し、新たなる宗教体系が確立された。
同時期、ヴェランドは「天空の道」と「調和都市」という二大プロジェクトを構想した。「天空の道」は崇願期405年に着工され、415年に完成を迎えた。この壮大なる交通網の完成により、王国内の交通は革命的な変革を遂げた。
また、「調和都市」の構想は崇願期410年に着工されたヴェリャ・ミアとして具現化された。この都市は人間と畏き者の共存を目指す新たなる都市設計の試みであり、崇願期420年に完成を迎えた。
権力の移譲と最期
崇願期424年、107歳となったヴェランドは、第五子ルフォンに王位を譲り、自身は隠居の身となった。この時、ヴェランドは世界統一を宣言し、シャロヴィア王国は名実ともに大陸を支配する王国となった。
崇願期425年から438年にかけて、ルフォンとヴェランドの共同統治期が続いた。この期間、新体制の安定化に注力し、シャロヴィア王国の基盤を強固なものとした。
そして崇願期439年、ヴェランドは122歳でその生涯を閉じた。しかし、その亡骸は突如として失踪し、7日間に渡る国葬の間、その所在は明らかにならなかった。後にベセーによって奪われたことが判明すると、ベセー討伐の声が沸き起こったが、ベセーは以降、世界から姿を消してしまった。
ヴェランド・ミアルヴァンの生涯は、人類と畏き者の関係性を根本から変革し、一統期という新たなる時代をもたらした。彼の名は、永遠に語り継がれる伝説となり、後の時代に数々の詩や物語、そして研究の対象として不朽の輝きを放ち続けることとなる。
ベセーの呪い
ヴェランドが畏き者ベセーから受けた三つの呪いは、彼の生涯と死後にわたって深遠なる影響を及ぼしたと考えられている。
安寧なる眠りの喪失
「あらゆる安寧なる眠り」を奪われたヴェランドは、生涯にわたって真の休息を得ることができなかったとされる。彼の眠りは常に浅く、悪夢や幻影に満ちていたという。この絶え間ない疲労と精神的苦痛は、ヴェランドの性格を鋭利にし、その決断力と行動力を研ぎ澄ませた一方で、彼の内面に癒えることのない傷を残したと考えられている。
一方で一部のエヴァリナ学者たちは、この永続的な不眠状態がヴェランドの力の源泉となった可能性を指摘している。またこの呪いが彼の寿命を通常の人間をはるかに超えて延ばす結果をもたらしたという説も存在する。
歓喜の記憶の消失
「歓喜の記憶」を失ったことで、ヴェランドの人生観は根本的に変容した。彼は幼少期の温かな思い出や、青年期の喜びに満ちた経験を完全に忘却してしまった。この記憶の欠落は、ヴェランドの性格を厳格にし、時に冷徹な判断を下す要因となったと考えられている。
しかし、興味深いことに、この呪いは新たな歓喜の形成を妨げるものではなかった。ヴェランドは統治者として、また家族の長として、新たな喜びを見出していったという記録が残されている。これらの新しい記憶は、失われた過去の歓喜とは質的に異なる、より深遠で複雑なものであったと推測されている。
死後の謎
ベセーが要求した「死後に奪い去る何か」の正体は、ヴェランドの死後も長らく謎に包まれていた。彼の遺体の突然の消失は、この呪いと直接的に関連していると考えられている。
一説によれば、ベセーはヴェランドの魂そのものを奪ったとされる。これにより、ヴェランドは死後の世界や転生の機会を永遠に失ったのではないかという仮説が提唱されている。また別の説では、ベセーはヴェランドの身体を奪い、それを用いて何らかの儀式や実験を行ったのではないかと推測されている。
さらに、より象徴的な解釈として、ベセーはヴェランドの「伝説」を奪ったという説も存在する。この説によれば、ヴェランドの遺体の消失は、彼の実在性に疑問を投げかけ、その偉業を神話や寓話のレベルに引き下げる効果をもたらしたとされる。
これらの呪いの真の意味と影響については、今日に至るまでエヴァリナ学者たちの間で活発な議論が続いている。ヴェランド・ミアルヴァンの生涯と死後の謎は、人間と畏き者の関係性、そして恩寵と呪いの二面性を考察する上で、尽きることのない研究対象となっている。